丹生都比売神社と天野の里

高野山への参詣途中、天野の里に立ち寄る場合は町石道からなら六本杉(天野辻)を下り丹生都比売神社(天野大社)に参拝後、二ツ鳥居(標高640m)まで八丁坂を上るか、六本杉まで引き返し町石を忠実に辿るかします。町石道にこだわらない場合は三谷坂(勅使坂)を越えて直接天野の里に入り、丹生都比売神社参拝後に二ツ鳥居または六本杉で町石道に合流するという選択肢もあります。天野の里も標高450mに広がる山に囲まれた静かな隠れ里の雰囲気と、高野山との関わり深い伝説の地でもありますので、ゆったりと時間を過ごすのも格別なものがあります。

丹生都比売神社

丹生都比売神社、天野の里自動車道から丹生都比売神社への表参道で、すぐ先の右手に鳥居があります。

丹生都比売神社、天野の里丹生都比売神社の鳥居と神橋

丹生都比売神社、天野の里

第一殿の祭神丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ:丹生明神)は天照大御神の御妹神で、その御子、第二殿の祭神高野御子大神(こうやみこのおおかみ:狩場明神)が弘法大師を高野山へと導き、丹生明神より高野山を借受け、守護神として祀り高野山を開いたといわれています。
鎌倉時代に気比神宮の大食比売大神、厳島神社の市杵島比売大神が勧請され、北条政子が社殿を寄進して四殿となり、第三殿に大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ:気比明神)、第四殿に市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ:厳島明神)が祭られました。
町石道にある二ツ鳥居は丹生都比売神社境内の入口にあたり、丹生都比売神社に参拝した後に高野山に登るのが慣習となっていたようです。

丹生都比売神社、天野の里神橋と鏡池

丹生都比売神社 公式ホームページ

天野の里

丹生都比売神社、天野の里天野物産販売所・観光案内所「ようよって」は土・日・祝日のみ営業(午前10時〜午後4時30分)で、地元で採れた生鮮野菜などを販売しています。

お照の墓

丹生都比売神社、天野の里三谷坂を越えて車道に出てすぐ左にある「貧女の一燈・お照の墓」への道標です。六本杉からだと車道に出て丹生都比売神社へ向かう左側にあります。お墓へは130mほど入り組んだ細道を辿っていきます。

丹生都比売神社、天野の里「お照の墓」
高野山奥の院にある「貧女の一燈」はお照という16歳の乙女が黒髪を売って養父母の菩提のために献じた燈籠で、お照はその後、天野で終生を過ごしたと伝えられています。

有王丸の墓

丹生都比売神社、天野の里かつての古文の教科書にも載って平家物語では著名な俊寛ですが、平清盛を倒す謀議が発覚して鬼界ケ島に流され、一人だけ赦免されずに島に置き去りにされた彼の弟子・有王丸は島を訪ね、その後まもなく島で亡くなった俊寛の遺骨を持ち帰り高野山に納め出家し、仏門に入った俊寛の娘と天野に住み、後世を弔ったといわれます。(平家物語では娘は奈良の法華寺で尼になり、有王丸は高野山の蓮花谷にて法師になり諸国回遊修行したとあります) 二ツ鳥居に向かう途中右手の桜の木の下、天野の里を見下ろす位置に建っています。

西行堂

丹生都比売神社、天野の里北面の武士であった西行(俗名:佐藤 義清)は1140年23歳で出家して隠棲、1149年頃に高野山に入ります。1180年頃伊勢に移り住むまで、高野山を拠点に諸国を行脚し各地に足跡を残しました。高野山のために京を往来し勧請に貢献したりとか高野山のためにも働いていたようです。伊勢に7年住んだ後は奥州藤原氏に東大寺勧請(高野山は一時衰微した時に東大寺の末寺的な扱いで関わりが深かったようです)のための旅に出て帰って後は京都嵯峨野に庵を結び、河内弘川寺で1190年入寂しました。
西行の高野入りを追いかけて妻も尼となり天野に庵を結び、西行の娘もまた仏門に入り母とともに天野に住んだとされる庵跡にこの西行堂が建てられました。

石造五輪卒塔婆群

丹生都比売神社、天野の里丹生都比売神社の傍らに建っています

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