橋本・四里石から高野街道を不動坂口女人堂まで

2008-09-28

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堺から河内長野までを西高野街道、河内長野から高野山までの参詣道を高野街道というが、橋本から高野山へはいろいろなルートがあったようで、世界遺産に登録されている町石道は長く険しい信仰の道として古くから利用され、近年には最短コースでもある京・大阪道(不動坂道)が賑わいをみせたという。町石道は次回の楽しみとして、今日は京・大阪道(不動坂道)を橋本・四里石から高野山の7つある入口で唯一残っている不動坂口女人堂まで歩く。

東家の「四里石」と常夜灯。ここを9時に出発(左)、紀ノ川の流れ(右)

かつては渡船に頼るしかなかった紀ノ川を橋本橋で難なく越えると、茶店や旅籠が軒を連ねていたという三軒茶屋で二基の常夜灯が建つ。紀ノ川に沿って少し西に進むと清水小学校の向かいに西行庵とその傍らに高野六地蔵堂の第一地蔵が祭られており、また旧家も残るこの辺りの清水地区は高野街道の面影を色濃く残している。

三軒茶屋の常夜灯(左)、三軒茶屋の常夜灯から対岸を望む(右)

西行法師ゆかりの西行庵とその右奥に高野六地蔵堂の第一地蔵(左)、かつての街道筋の面影が色濃く残る清水の町並み(右)

清水の町並みを後にさらに西に進むと学文路天満宮の鳥居を左に見て広い道に合流する。その合流した右手に第二地蔵が祭られている。果樹園の広がる広い道を少し進んで小さな橋を渡って学文路小学校を過ぎ、すぐの左の小道に入り、突き当たりを右に少し行くと左に学文路大師堂、その正面、民家の玄関先に「三里石」がある。「四里石」から50分、6000歩足らず。

途中にあった祠。コスモスと見事なコラボレーション(左)、田園の中に第二地蔵(右)

学文路大師堂(左)、学文路大師堂の対面に民家の玄関のオブジェクトのような「三里石」(右)

「三里石」を過ぎて少し進むと先ほどの広い道を横断する。横断した辺りで、また紀ノ川に近付き展望も開けて金剛山地、和泉山脈が見渡せ、通り過ぎてきた紀見峠も正面右手に望まれ、堺から歩き続けた旅人は遥か遠くまで来たことと高野山が近付いてくるのを思ったことだろう。いくつかの標石の建つ学文路郵便局の前の道路には「高野街道」の石版が埋め込まれ、これからも要所要所には埋められているので迷いそうな分岐などでは注意するのがいい。

紀ノ川の向こう、写真正面の凹みが紀見峠(左)、「高野街道」の石版。この先の分岐では大変助かった(右)

学文路郵便局を過ぎて正面の酒屋を左に折れると再び先ほどの広い道を横断して、南海高野線の踏切を越えるが、広い道を越える手前右側に学文路三叉路の道標石が建っている。大門へと続く町石道はここから分かれて九度山を経て慈尊院へと向かう。南海高野線の踏切を越える辺りからは坂道となり、また山道へと入って行くようになる。急坂を上ると石動丸物語で有名な苅萱堂。トイレやベンチもあるので参拝して小休止するのもいい。

学文路三叉路の道標石。西へ進めば町石道へ、南へ進めば京・大坂道(左)、苅萱堂。ここで5分小休止して10時10分に出発(右)

学文路の町並みを過ぎると家は途切れ、果樹園の広がる山道を進む。次の集落が見える所で道は分岐するが「高野街道」の石版に導かれて集落の中の道へと進む。柿畑が道沿いにも連なり山の斜面も柿畑に覆い尽くされている。少し色付いているものもあるが赤く熟れ出す頃はさぞ壮観だろうと想像される。紛らわしい分岐には「高野街道」の石版が埋め込まれているので、のどかな田園風景を楽しみながらの道中で、繁野の集落に入ると左手に第三の地蔵が祭られている。

柿畑が眼下に広がる(左)、第三の地蔵(右)

第三の地蔵を過ぎて少し行くと立派な新道が横切っているので車に注意しながら横断する。横断した先には左へと広い道があるが、ここは右手前方にある常夜灯に誘われて細い道を直進。ここから鄙びた感のある硯水の集落の中の道を登り詰め下って行く。途中の新道工事中の紛らわしい分岐は左に取りさらに進むと、第四の地蔵が右手に見えてくる。

大きな栗の木の下に落ちていた。全部で5個ゲット(左)、第四の地蔵(右)

第四の地蔵からは折り返すように標識に従って急な坂道を下る。今まで稼いだ高度を一気に吐き出すような激下りだ。帰り道ではさぞ辛かったことだろうと思われる。視界が開けると眼下に河根の集落が見渡せ、集落の手前には九度山町河根丹生神社。河根の宿場町を過ぎると丹生川に架かる千石橋のたもとに「二里石」がある。「三里石」から約1時間、6000歩足らず。

河根の集落を見渡す(左)、九度山町河根丹生神社(右)

河根の宿場町。右手は元本陣の中屋旅館(左)、丹生川に架かる千石橋の手前に「二里石」(右)

千石橋を渡り切った所で11時を過ぎたので5分ほど小休止して、あんぱん1個を補給。力を付けて街道一の急坂である作水坂を上る。登り切った所に「第五の地蔵」が祭られており、作水の集落を過ぎると改修・未改修の車も通る山道をひたすら歩く。民家も点在するが廃屋となったものも目につく寂しい道で、途中に高野六地蔵堂の最後の「第六の地蔵」が祭られている。

千石橋から丹生川の清流(左)、急坂を上り切った作水の集落に「第五の地蔵」(右)

街道から河根の集落を見おろす。向こうに和泉山脈が連なる(左)、高野六地蔵堂の最後の「第六の地蔵」(右)

「第六の地蔵」からも同じような道を進むと左手に大きな岩が見えるが、これが黒石で、この辺りで明示4年に仇討ちがあり7人が討ち取られた。これを機に仇討ちが禁止されたので日本最後の仇討ちがあった場所とされている。この先に打たれた7人が地元神谷の村人に葬られた殉難七士の墓があり、その先に「一里石」が他の道標に挟まれて建っている。「二里石」から約1時間、6000歩足らずで、ちょうどお昼の12時。ランチタイムにしようと思ったがなかなか思わしい場所がない。

この辺りで日本最後の仇討ちがあった(左)、街道の右に「一里石」と道標石(右)

「一里石」を過ぎるとかつては殷賑したという神谷の宿に入る。しっとりとした町並みだが、廃屋もところどころに見られる。神谷を抜け突き当たり(直進する農道はあるが)を右に曲がると、南海高野線が下を走り木々に囲まれた明るい道だ。少し下って新極楽橋の手前の脇道を左に入れば、すぐに鮮やかな朱色の極楽橋が目に飛び込む。「一里石」から30分。

神谷宿

下に南海高野線(左)、朱塗りの極楽橋、高野の聖域と俗界を区切る結界だとか(右)

橋の両端に地蔵が祭られている極楽橋を越えると高野の聖域に入り、不動坂と呼ばれる急な坂道が続く。道端には可愛い秋の花がいろいろと咲いているが名前は知らない。ケーブルのガード下をくぐり緑に包まれた遊歩道を進めば、途中左手に滝などがあり深山幽谷の趣もある。小橋を渡った左には清不動のお堂があり少し奥まった所に丸太のベンチ。やっとここでお弁当のおにぎりを頬張って大休止。

極楽橋を渡る(左)、ケーブルのガード下を越える(右)

清不動。橋を越えて右手のベンチが落ち着く(左)、前に来た時は朽ちかけたようなお堂だったが、奇麗になっていた(右)

清不動を過ぎ花折坂を経て高野山のバス通りに突き当たる。左に少し行くと不動坂口の女人堂に到着。13時30分。「四里石」から休憩時間を含めて4時間30分、23888歩。清不動前で20分ほど休憩したので不動坂の登り所要時間は40分ほど。ケーブル待って、バスを待ったりしている時間を入れると大差なかろうと思う。

花折坂(左)、不動坂口女人堂(右)

女人堂で高野街道の歩きは終えたが、お土産物屋さんの並ぶ所までもう少し歩いて焼き餅をお土産用に買い求め、ついでに店内でも食べる。これが楽しみの一つでもある。甘味を満喫したら、女人堂まで戻って不動坂を駆け下り、極楽橋駅から14時51分発のなんば行き快速急行で帰途に着く。

不動坂の下り道とケーブルカー(左)、極楽橋駅(右)

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